こんにちは!
お盆休みな世の中で、私もこの期間は講演はないのですが
新しい事業の打ち合わせや講演動画の作成など、フル回転で活動しております!
さて先日、中高生を子に持つ保護者の方からのご相談。
「子どもにはいつも勉強を見てあげたり、忘れ物をチェックしてあげたり、アドバイスをしてあげたり色々してあげているのですが、ある友人から『ちょっと過保護すぎない?』と言われてしまいました。そうなのでしょうか?どこまで親が子育てに踏み込んで良いのかわかりません。教えてください」
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親がどこまで子どもに関与(援助)して良いものか?これはなかなか難しいところです。
私の回答はいたってシンプル。
「それでOKです」
逆に、ほぼ放置でほとんどすべて子どものやることには関与しない…というのも
「それでOKです」
(衣食住の提供など、最低限度の生活は保証されているものとします)
どこまで関与するかどうか?これは子どもの成長や、大人になってからの影響は、大して関係ありません。
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ですから、親のやりたいように関与すればOKです。
何から何まで関与する過保護(過干渉)であっても、ほとんど本人任せで関与しなくても、どちらでも良いのです。
「過保護すぎると子どもの自主性(主体性)が育たないんじゃないの?」と思われがちですが
中高生ぐらいになると子どもは、学校など周りの人との関わり合いの中で、勝手に自我が芽生えていきます。
ですから過保護(過干渉)すぎる親がいると、「鬱陶しいな〜」という感情が起こりやすいので、逆に自主性(主体性)が早く育つ場合もあるのです。
(24時間ずーっと一緒にいて、ずーっと関与し続ける…ということならちょっと話が変わってきますが)
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ただし、どこまで関与するかどうか?が重要なのではなくて、別にポイントがあるのです!
それは例えば
「子どもの話を最後までしっかりと聴いてあげているか?」に表れてきます。
これをやっているか?いないか?で、その子の成長速度や、特に大人になってからの影響が非常に大きく出てきます。
話を聴いてあげることで
「自尊心」「自己肯定感」が生まれ、これが大人になってからの人格形成に大きく影響するということが研究で明らかになっているのです。
また、東大生に聞いた「親にやってもらって嬉しかったこと」アンケートの第一位は
「最後まで話を聞いてくれていた」で、実に93%の東大生がこう答えています。
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ただ「聞く」ということではなくて、「聴く」ことです。
そこには、気持ちに寄り添い、向き合うというような意味が含まれています。
大事なことは…
「子どもが、自分のことを愛してもらっている」と感じているどうか?です。
全然話を聞いてもらえなかったり、また話を聞いてもらっていても、それが「面倒だ」と感じながら話を聞いていたりすると、
子どもは「自分のせいで親に迷惑をかけている」と敏感に感じとり、「自分が生まれてしまったから親は大変なんだ」というように解釈してしまう場合もあります。
「自分は愛されていない」と感じてしまうんですね。
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「自分が生まれてきたことで、親が心の底から喜んでくれている」
「自分がいるだけで、親は嬉しい」
そういう「愛」が伝わっているかどうか?がポイントなのです。
子どもに関与(援助)しすぎて過保護に育てたとしても、それが子どもへの「愛」ゆえの行動ならば OK!
逆に、親としての単なる「義務感」や、「面倒だ」と感じながら関与(援助)しているのがNGです。
ほぼ子どもに関与していなくても、それが「愛」から来るものならばOKです。
また仕事が忙しすぎて関与できない…という場合でも、本当に子どものために「愛」を持って仕事をしていたり、会える時にしっかり話を聴いてあげるなど、そこに「愛」があればOKです。
逆に、単なる放置で、ただ親が子育ての楽をしたい(面倒だ)とある意味「放棄」しているのがNGです。
大事なことは、どこまで関与するか?などという「ノウハウ」ではありません。
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「自分がこの世に生まれてきたことで、親はただそれだけで幸せだと感じてくれる」
今回ご相談いただいた保護者の方。
その後、帰ってきた子どもに、何も言わずに「ギュー」とハグをされたそうです。
そしてその日の夕食では、みんなでたくさん笑って、笑顔溢れる食卓になったようです。
明るく元気に楽しく笑顔で!!
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