アスリートと言っても、超一流のアスリートと普通のアスリートとでは、一体何が違うのでしょうか?
将来急激に伸びてくるアスリートと、なかなか伸びないアスリートとでは、一体何が違うのでしょうか?
色々とありますが、その中の一つをご紹介したいと思います。
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(超一流のアスリートを「超」、普通のアスリートを「普」、そして底辺のアスリートを「底」と表記します)
例えばキャッチボールでいうと…
「底」は、練習のメニューを消化するように投げています。
「普」は、ミットをしっかり狙って投げています。
「超」は、ミットの先にある「空振り三振」や「見逃し三振」をしっかりイメージして投げています。
例えばランニングでいうと…
「底」は、走れと言われたから仕方なく走っています。
「普」は、目標設定をしたタイムで走ろうとします。
「超」は、ゴールの先にある快感や、それによって周りの人が喜んでいる姿をイメージして走ります。
例えば指導者から指導をしてもらったら…
「底」は、分かりました!と言って、裏でコソコソ愚痴や不満を言います。
「普」は、言われた通りに素直にやろうとします。
「超」は、そう指導してもらった意図や意味、その裏の背景まで知ろうとします。
例えば試合では…
「底」は、勝ったら自分の実力、負ければ指導者のせいにします。
「普」は、とにかく目の前の勝負を一生懸命やります。
「超」は、相手の心理を読み、戦略を読み、常に一歩先に意識を持って戦います。
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さて「底」と「普」の違いは分かりやすいのですが、「超」と「普」の違いは何かおわかりでしょうか?
「超」は、ある物事の「先」にあるものを捉えようとしていることです。
もう少しわかりやすくいうと、常に未来のイメージを湧かし、それに向かって進んでいるということです。
さらには表面的な現象だけでなく、その裏の背景や心理などの「奥」を捉えようとします。
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最近は「言われたことはきっちりやる」子どもが増えてきました。
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しかし私が危惧しているのは、それによって近視眼的な視点になり、その先にあるものを見ようとしている子どもが少なくなったということです。
例えば、一体どれだけの若者が、将来の年金問題や、次世代の日本の未来を考えているでしょうか??
あくまで表面的な部分でしか見ず、その先や裏側を見ることができません。
コミュニケーションの中でも、言われたことを素直に受け取ることは最低限重要なのですが、その発言の裏側の心をしっかり見る「目」が必要なのです。
相手の気持ちを汲み取ったり、空気を読んだりすることなどです。
もう少しいうと、例えば学校の先生の授業を、素直に真面目に聞けることは大事なのですが、その先生が「伝えようとしているポイントは何か?」…裏でどれだけ授業準備をしているか…カリキュラムがキツキツで早く終わらせたいと…いう先生目線での思いまで理解できるかどうか。
休日返上で身体壊さないかなぁ…という気遣いが出来るかどうか。
そこまで「読める」子ども、最近では少なくなったと思いませんか?
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会社で、指示されたことをきっちりやることは最低限です。
しかし、その仕事がビジネスにどう生かされているのか…指示をした上司の意図は何か…など、そこまで考えられる社員がほとんどいないのも同じです。
言われたことをきっちりやれるというのは、日本の標準化を目指す教育システムの成果だと言えますが、これからの時代を生き抜く力はそういうことではありません。
先を見る力、それを私は「先手力」と呼んでいます。
言われたことを文句を言いながらやるのは「受動的(受け身)」
言われたことを進んでやるのは「自主的」
言われたことの先を見て行動するのは「主体的」
主体的な子どもが、未来の日本を担います!
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